10月27日(日)、大山街道沿い「駄菓子の木村屋」隣りにある平原邸(二子新地)で開催されたのは、お医者さんに「なるには」講座医師は、小学生の「なりたい職業」で常に上位にランクインする人気職業です

今回の講師は、3浪の末、秋田大学医学部に入学したという頼もしい(笑)経歴をお持ちの渡辺 栄一郎(わたなべ えいいちろう)先生。現在は東京大学の小児外科医として、活躍されています。

当日会場に集まった子ども達は、みんな白衣を着て、小さなお医者さんのよう!なかには、渡辺先生のお子さま達も混じっています。「なるには講座」コーディネーターの平原ちひろさんが、「お医者さんになりたい人は手を挙げて」と声をかけると、すぐに5人が手を挙げました。でも、そのうち1人は、なんと渡辺先生。「もうなっている人は手を挙げなくていいですよ」とちひろさんが言い、みんなで笑いながら講義が始まりました。

子ども時代
「こんにちは、子どものお医者さんをしている渡辺です。お医者さんとしては13年目で、あとは研究もしています。何の研究かは…想像しながら聞いてください(笑)。

今回みんなにお話をするにあたって、僕が6年生のときに書いた『生い立ちの記』を見てみたのですが、面白いことに年代も漢字も間違えて書いてます(笑)。全然勉強ができなかったんですね。まあ、子どもの頃は木登りやどろんこ遊び、チャンバラが好きで、とにかく遊んでいました。勉強のべの字もない、わんぱく坊主だったんです。

6年生の通信簿も持ってきました!体育がいちばん得意で、○が2個、あとは算数と音楽と図工に○が1個ずつ。だから、小学校のときの友達に会うと、まさかお前が医者なんて!と驚かれます」と渡辺先生。
まさかの通信簿大公開に、子ども達も大盛り上がり。席を立って、覗き込みます。 「その頃塾は、友達に影響されて英語だけ行ってました。だから得意ではなかったけれど、そのおかげで後のセンター試験とかはクリアできたのかなあと。」

中学〜高校時代
「僕は小学校から大学院までずっと公立で、中学校ではバスケットボールを一生懸命やっていました。でも2年になるときに神奈川県の共通試験『ア・テスト』を受けて、その結果が非常にやばかったので、それで勉強しなくちゃと思ったことを覚えています。この頃になって、数学の塾にも行くようになりました。あとは、短期の講習にちょこちょこ行くぐらい。応援団長なんかもやっていて…今思うと、何も考えずにとりあえずいろいろやってみるタイプでした。

で、まあ、高校は進学校と言われる県立相模原高校になんとか行けたんです。そして、ここで初めて挫折しました。300人中、テストがだいたい280番ぐらい(笑)。部活もやっていたんだけれど、集団行動が合わなくて、1年目にやめてしまって…。その頃『自転車少年』が流行っていたので、それに憧れて、自転車で北海道に行ったり、安いところに泊まりながら1ヶ月ぐらいぐるぐる周ったりしていました。」

高校3年の夏に行われた進路指導の面談のときのこと。「国境なき医師団」に憧れていた渡辺先生は、担任の先生とお母様を前に「お医者さんになりたいです」宣言
「一番びっくりしたのが母親だったのを覚えています(笑)。『お前がお医者さんなんて無理でしょう』と。先生もびっくりして、『なれるかわからないけれど、確実に浪人だよ』と言われました。ということで、浪人生活が始まりました。」

ここで、前にいる子どもから「何年?」と聞かれ、笑いながら3本指を出して「3年」と答える渡辺先生。平原憲道さん(おとなの寺子屋主宰)が「ここからが面白いとこだよ」と合いの手を入れ、子ども達も興味しんしんの眼差しに。

浪人時代
1年目はね、世間知らずでした。近くの図書館とかに行って、参考書広げたりしているうちに過ぎてしまったんです。センター試験も4割位しかとれなくて。僕は国立大学にしか行けないから、お医者さんになるためには、まずセンター試験で9割とらなくちゃいけない。
ちょっとこれは…ということで、2年目は予備校に行くことになりました。お医者さんになりたい人が1000人位いるマンモス校で、その中で国立の医学部に行けるのは百何十人。なのに、クラスは最下位、1年間やっても成績は伸びず…現実を知り、ショックを受けました。で、2年目のセンター試験が6割位。だからもっと努力が必要だったんです。」

2年たったところで、このまま続けるか、他の職業を目指すか、少し悩んだという渡辺先生。でも、お父様に「言ったことは守れよ」と言われ、そのまま3年目に突入。

3年目はね、まさに反省挑戦。初めて自分を客観的に見て、今までのデータもかえりみて、何がいけないかと考えました。そこでまず、『自分はそんなに頭は良くないんだなあ』ということがわかりました(笑)。」

それでも「絶対にできるはずだ」と信じ、センター試験に照準をあわせて、ひたすら基礎の勉強に励んだという渡辺先生。そこから成績が伸び始めたそうです。特に苦手な国語は、毎日問題を解くようにしたのだとか。
「そしたらね、センター試験は9割。(ここで会場はどよめき、子ども達からは『すごーい!』という歓声が!)ここで僕が皆さんに言いたいのは、今のうちに基礎をしっかりやっておいてね〜ということです。難しいことをやるのではなく、基礎を身につけることが将来的に役立つのかなって思います。」

とうとう医学部に合格!
ここで、朝日新聞の秋田版がスライドで映し出されました。 「これ、2000年の3月8日です。前期試験の発表日の翌日ですね。朝日新聞の秋田版に『3浪して医学部に合格した相模原市の渡辺栄一郎さん(21歳)。言葉にならないです。患者さんを中心に考える、親しみのあるお医者さんになりたい、と声を弾ませました』と書いてあります(笑)。

そんな感じでなんとか秋田大学医学部に入れたんです。ラッキーだったのかなと思いますが、運を引き寄せるのも努力次第だと思うので、みんなも頑張って!」

次に、白衣を着た医学生達がずらりと並ぶ写真が映し出されました。
「秋田大学って、いろんな経験をしてから再受験した人が多くて、これもおじさん、あっちもおじさん(笑)。実はいっぱいおじさんがいるんです。多浪生もけっこう多くて、面白かったですね。でも、医学部に入ったからといってお医者さんになれるわけじゃない。6年後には、国家試験という、すさまじいサバイバル競争が待っているわけです。

医学生時代
「僕は3浪したので、入学した頃、同級生は就職活動の時期だったんです。そのときに友達から聞いた、『学生時代にやっておけばよかったこと』と僕が浪人時代に『やってみたいと思っていたこと』を合わせて考えた結果、ぶっちゃけトークだから言っちゃいますが(笑)、奨学金を借りまくって遊びました。返済に関しては、妻に迷惑をかけていますが…。

お医者さんになってしまうと時間がないので、学生のうちに、いろんなところへ旅に出ようと。スイス、イタリア、ドイツ…。僕は計画性が乏しいので、パッと出かけちゃう。イタリアに行く途中でスイスにも立ち寄りたくなって、勝手に空港から出ちゃったんです。それで10日間行方不明とみなされて、親が心配する事態になったこともありましたね。
タイやカンボジア、インドにも行きました。あとは、中国、モンゴル、ケニア、タンザニア。いろいろなところに行って、いろいろな経験をしました。海外に行くと、『日本はどんな国?』『宗教は?』『政治は?』とかいろいろ聞かれるんだけれど、あまり答えられなくて。そこで『日本人とは?』と考えるようになりました。

そのとき頭をよぎったのは、浪人時代に見たNHKの深夜番組「四国遍路」の特集だったそうです。そして、ここからは弘法大師(空海)が現代に残した修行場である「四国遍路」の話へ。スライドには、四国遍路の地図が映し出されています。

弘法大師、知ってる?字のうまい、真言宗のお坊さん。その人が、歴史から消えた時期があったそうです。その間に何をしていたのかは諸説あるんだけれど、おそらく四国で修行場をつくっていたのではないかと。だから僕は日本人のルーツを探しに、四国へ行きましたお遍路さんをしながら、1500㎞に点在する88箇所のお寺を45日かけて巡ったんです。そしたらこんな人になりました!」

スライドには、はっぴを着こなした、修行僧のような渡辺先生が。そして、お持ちになったはっぴの実物も披露してくれました。

僕の中では、これが白衣です。棺桶には、これを着て入ろうと思っています。お遍路中は、バス乗り場や山の中で寝たり、川で体を洗ったり。お金はかからなかったですね。うまく表現できないけれど、この時に日本人の心を知りました。

国境なき医師団に憧れて、海外へ行こうかと思っていたけれど、お遍路体験を通して日本が好きになったので、日本でお医者さんになろうと決め、無事に医師免許もとりました。」

医師になって
お医者さんは、海外でも、日本でも、好きなところで働けます。もちろん、東京でも地方でもいいし、大学病院でも、市の病院でも、クリニックでも、働くところは自由に選べます。

お医者さんになると、研究者にもなれます。僕も5年間研究をやっていました。厚生労働省で働いたり、あとは船医になって世界旅行をすることもできます。弁護士や小説家になる人もいますね。 僕が勤めている東京大学医学部付属病院には、38の診療科があります。そこでは、何科になりたいかも選べちゃう。自由です。僕はもともと大人の外科医だったんだけれど、今は子どもの外科医になりました。」

小児外科の対象年齢は、胎児〜15歳位までだそうで、渡辺先生は、お腹の中にいる赤ちゃんの手術をすることもあるのだとか。ここからは、病気の症例を写真と映像で紹介してくださることに。

「まずは脱腸(鼠径ヘルニア)です。腸が飛び出してくる病気で、放っておくと腐ったりするから、手術をしなくちゃいけない。最近はね、腹腔鏡で手術をします。へそから機械をいれて、腸の穴を縫ってきゅっと閉じます。」
本物の手術映像に、みんなびっくりして釘付けです。「痛くないの?」「麻酔はするの?」「血はでないの?」と言いながら見入っていました。

続いて、胃の出口が狭くてミルクが通らない肥厚性幽門狭窄症のお子さんの手術映像も見せてくれました。
「これも腹腔鏡ですね。3mm位の機械を入れます。苦手な人は後ろを向いていてね。でも、治す治療だから全然怖くないですよ。ほら、狭くなっているところを切開します。これでミルクが飲めるようになり、今は無事に元気に育っています。」
 素早くて的確な手術を見せていただき、改めて「渡辺先生は優秀な外科医さんなんだなあ」とじもたん編集部も感激しました!
子どもたちに「怖くないの?」と聞かれ、「ちょっと怖いよね、合併症もあるから責任が重いよね。だからお医者さんは勉強しなくちゃいけないんだ」と渡辺先生。

最後の手術映像は小児がん。 「小児がんって治る場合が多いんです。これは開腹手術です。お腹を切って、血管とかを処理してがんをとりました。これで5時間かかりました。」
お腹を切って、そこから想像以上に大きながんの塊が取り出される映像は、大人もびっくり。「すごーい」と会場からは歓声が沸き起こりました。

研究の話、そしてみんなに伝えたいこと
最後は渡辺先生の研究のお話。 「僕はうんちの研究を5年間してきました腸内には、100兆個の細菌がいると言われています。そして、そのたくさんいる菌のうちの1つが、薬に使えるかもしれないということを発見しちゃったんです。ラッキーな大発見でした。5年間の研究生活は苦しかったけれど、それを支えたのが、実は浪人の3年間でした。あれほど辛い時期はなかったので…。
僕は今、大学病院で働いていて、ときどきクリニックへアルバイトに行きます(笑)。研究も続けていて、厚生労働省のお仕事(母子手帳の作成)のお手伝いもしています。

最後にみんなに伝えたいのは、今の時代は『なんでもできる』ということ。日本は平和で、夢を持てば叶えることができるんです。それから『失敗をこわがらない』こと。チャレンジすることが重要です特に子どものときは何でも許されるので、どんどんチャレンジしちゃおう。あとは『感謝することを忘れない』。お父さん、お母さん、ご先祖さまにも感謝しよう。ごはんを食べるときには、お肉にも感謝しよう。すべてに感謝して生きるといいことがありますよ。」

「子どもの頃から勉強ができる人しか医師になれない」「親が医者じゃないと難しい」といった固定概念を覆す半生を披露してくださった渡辺先生。子ども達にとっても、そして親にとっても、夢と希望を与えてもらえる講義となりました。

最後はみんなで記念撮影。終始にこやかな渡辺先生は、みんなの心に残る、とっても素敵な小児外科のお医者様でした。

渡辺栄一郎/東京大学小児外科医

1978年生まれ(41歳)。相模原市立当麻田小学校に通っていた時は、勉強より体育が好き。相模原市立相原中学では、バスケットボールに熱中。神奈川県立相模原高等学校卒業。3浪し、秋田大学医学部に入学、外科医として働いた後、小児外科医になる。バスケットボールと子どもと旅が好きな3児の父。

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「おとなの寺子屋(平原)」(terakoya@oyabun.net)