12月14日(土)、第9回目となる「なるには講座」が、大山街道沿い「駄菓子の木村屋」(二子新地)の中にある「だがしんち」で開催されました。12月半ばとあって、少し肌寒くもありましたが、お天気は良好。講座の最後に、本日の講師かんばら けんたさんに中庭でダンスを披露していただくことになっていたので、ひと安心です。

集まった子ども達は、小学生を中心に8名ほど。大人を合わせて総勢17名が今回の参加者です。会場に入ると、上下黒い服に身を包んだ細身のかんばらさんが、すでにご自身のパソコンをセットして、準備完了のご様子で待っていました。

自己紹介からスタート
「今、ボクは33歳ですが、二分脊椎症という病気で生まれつき脚が動きません。脚から下は感覚がないので痛みを感じないし、くすぐられてもくすぐったくないんです。怪我して血が出ても痛くないんですが、血が出ているのを見ると、なんとなく痛いような気はします(笑)。兵庫県で生まれ育ち、コンピューターの仕事をするために20歳で東京に来ました。」

実は、かんばらさんが話し始める前から、慣れない場所に不安になってしまった女の子が泣き出してしまったのですが、「ボクも子どもがいるので全然、大丈夫ですよ」と優し〜く対応。よく見れば、スライドの文字もすべてひらがなを用いて、子どもでも読めるように工夫されています。
そして、2枚目のスライドには話題の娘さんとの2ショットが映し出されました。「28歳で結婚。ダンスを始めたのは29歳なので、まだ4年位かな。で、30歳でリオ・パラリンピックに出演させてもらって、31歳で娘が生まれました。これが娘です。ベルトで固定して車いすで二人乗りしています(笑)。」

まずはダンスを披露
「車いすのダンスを見たことがある人ってあんまりいないですよね。どんなものか知らないまま最後までしゃべってもわかりにくいと思うので、まずはちょっと踊りたいと思います。写真とか動画とか、撮りたい方は自由に撮ってもらってかまいません。あと、お子さんもよく見えるように立ったり移動したりしてくださいね〜」とかんばらさん。つねに気遣いを忘れない、とっても親切な方です。

ダンスは、車いすと腕の筋肉を最大限生かした、躍動感あふれるスタイル。車いすの上で逆立ちをするシーンでは、会場から「おー!」という声が響きました。また、横倒しにした車輪の上でくるくる回る「ろくろ」という技はオリジナルで、世界でできるのはかんばらさんだけ、とのこと。記者の個人的な感想としては、ちょっと前衛アートのような印象を受けました。

ダンサーのお仕事って?
ダンサーシステムエンジニアという2足のわらじで活動しているというかんばらさん。
ダンスを始めたきっかけは、とある車いすとの出会いだったそうです。
スクリーン代わりの壁に映し出されているのは、何やら白くておしゃれな車いす。

「ボクがダンスを始めたのは、このパフォーマンス専用の車いすに乗るパフォーマーを募集していたので、それに乗ってみたくて応募したのがきっかけです。タイヤの横にたいこが、後ろにはスピーカーがついていて、タイヤを回すと音が鳴る仕組みになっています。」

車いすのあとは、次から次へと、華麗なダンスシーンが壁に映しされました。
「これはこの夏、韓国の障害者ダンスフェスティバルに呼んでもらったときのもの。それから、空中芸もします。布で逆さまに吊られて、くるくる回ったり…。」

話を聞いていた小学生から、「こわくないの?」と聞かれ、「まあ、目は回りますね」とおっとり答えるかんばらさん。
「こんな風に、ダンサーというより、パフォーマーという感じで活動しています。」

続いて、EXILE(エグザイル)のテツヤさんとの2ショットと、アートなメイクを施したアップの写真。
「恥ずかしいんですが、EXILEのテツヤさんと対談させてもらい、月刊EXILEに載せてもらったりとか、あとはモデルもやっています(笑)。ダンサーといっても、踊るだけでなく、写真を撮ってもらったり、しゃべったり、本にしてもらったり、いろいろな活動をしています。」

どうしたらダンサーになれるの?
「ダンス専門の学校に通うという手もあるし、あとはダンサーのお仕事を集めている会社があるので、そこに登録しておくと、お仕事がもらえたりします。ボクはダンスを始めて6ヶ月でリオ・パラリンピックの閉会式に出演させてもらったんですが、それはある日、突然『ちょっとお話、聞かせてください』と呼ばれて、それが実はオーディションになっていて、その場で踊ってオッケーをもらいました(笑)。」

ここで、リオ・パラリンピックの閉会式の動画が映し出されました。黄色い服に身を包んだ小池都知事が旗を振っています。
「閉会式の、旗を渡すための式典に参加してきました。ちなみにリオは地球の裏側なので、飛行機で行くのに30時間以上かかってヘロヘロになりました〜(笑)。

会場では日本の国旗が上がって、国歌が流れて、6〜7万人の人が静かに待っている中、パフォーマンスがスタート。まずは義足のモデル、GIMIKO(ギミコ)さんのダンス。その後ろで踊っている2人の女性は結婚してるレズビアンのカップルです。

その後は、やはり義足のダンサー大前 光市(おおまえ こういち)さんの出番。彼はダンサーを目指している20歳位の頃、暴走した車にひかれて足を切断したそうです。片足の膝から下がありませんが、こんなに軽やかに踊っています。彼がバク転を決めたとき、一番大きい歓声が上がりましたね。地面が揺れて曲が聞こえなくなるほどでした。

次は目の見えない檜山 晃(ひやま あきら)さんが登場し、周りで女性4人が手話ダンスを披露。この後、いよいよ車いすダンサー4名の出番です。実は本番の2日前に、急に真ん中で踊ることが決まって、すごーくドキドキしながら、失敗したらどうしようと思いながらやりました。」

映像では、髪を真っ赤に染めたかんばらさんが、カッコよく踊っています。ちなみに真っ赤な髪の毛はスプレーによるもので、その後、落とすのがひと苦労だったのだとか。最後は、かんばらさん曰く、「すごくハッピーな気分にさせてくれる」という二人組のダウン症のダンサーが踊って、全員で真ん中に集合。とても華やかな舞台ですが、実は雨が降っていて床はつるっつる。転ばない様にと震えながら、最後のポーズを決めたそうです。

システムエンジニアのお仕事って?
次は、システムエンジニアのお仕事について。今回の「ダンサーになるには」というタイトルには直接、関係ありませんが、かんばらさんがダンサーとして活躍するための暮らしを支えている大切なお仕事です。
実際、ダンスだけで生活していける人はとても少ないので、2足のわらじを履いて上手にバランスをとっているかんばらさんのライフスタイルは、とても参考になります。
ずらっと並んだコンピューターの前で作業をしている様子が映し出されました。

「この部屋には、ボクの背より高い、サーバーというおばけみたいなコンピューターが300〜400台並んでいます。これで何をしているかというと、例えばユーチューブやラインを見るときは、ここに保存されているデータがインターネットのケーブルを伝ってみんなのもとへ行きます。つまり、みんながパソコンやスマホで見る画面の大もとになる巨大なパソコンのセットアップをしているというわけです。あとはお客さんの会社へ行って、商品の説明やそれに必要な設定についてプレゼンをすることもあります。」

どうしたらシステムエンジニアになれるの?
高校卒業後は、コンピューターの専門学校に通ったというかんばらさん。
「ボクはゲームが大好きで、小中高とゲームばっかりやっていたから、ゲームをつくる人になりたかったんです。ゲームをつくるためにはコンピューターの勉強が必要だったら、そのための勉強をしていました。そしたら、今の会社からシステムエンジニアの募集があって、合格したのでシステムエンジニアになれました。」

小学校時代
ここから時代をさかのぼり、小学生時代について話してくれました。
「小学校のときは、普通の学校に通っていました。エレベーターはなく階段だけ階段の横にカーペットを1階から4階まで敷いてもらい、手で上っていました。各階に計4台の車いすを用意して、乗り換えて使ってました。
小学校高学年になると、1年生の子がびっくりしてじろじろ見たりするので、みんなと違って恥ずかしいなあと思っていました。でも実はそれが筋トレになっていたんです」

と両手を上げて、たくましい腕の筋肉を披露。なんと、幼稚園の頃から逆立ちができたのだとか。ダンスの際にアクロバティックな技を軽々と決めて見せるのも、幼い頃からの日常的な筋トレが功を奏していたんですね。

「自分の家も、子ども部屋が2階だったので、いつも手を使って階段の上り下りをしていました。小学校の頃はそれがイヤだったのですが、でもそれが、今の自分の長所につながりました。だからみんなも、小学校の頃イヤだったり恥ずかしかったりすることが、実は自分のいいところや、他人にはマネできないところにつながる…かもしれません(笑)。」

中学・高校時代
中学校の頃は、階段などは友人に運んでもらっていたそうです。
「まあ、でも介護として一生懸命運んでくれるわけではなく、おもちゃにされて、走りながら運ばれたり。遊びの一環のような感じでしたね。ちょっとコワかったですけど(笑)。」

その後は、普通の勉強とコンピューターの勉強が両方できる高校へ。高校在学中にコンピューターの資格を取ったりしながら、専門学校に向けて準備をしていたそうです。当時、さまざまなスポーツにも挑戦。陸上用の特別な車いすに乗っているかんばらさんの映像が映し出されました。

「これは陸上競技用の車いすで、前のタイヤは1個だけ。短距離走をがんばったけれどあまり強くなれなかった。水泳も幼い頃から8年位やったかな。あとは座って行うシッティングバレーもやったけれど、あまりうまくなりませんでした。たとえば、シッティングバレーの選手はボクみたいに生まれつき障害があるタイプではなく、足を切断した人がほとんど。座高が低いボクに比べて、彼らは圧倒的に有利なんです。スポーツは、障害の種類によって有利不利があって、残念ながらボクの障害がバチッとはまるものが見つからず、悔しい思いをしました。

ダンスへの思い
スポーツでは思ったような結果を出せなかったからこそ、今、ダンスに特別な喜びを感じているというかんばらさん。
ダンスを始めて、自分の体の特徴がすごく活きるなあと感じました自分にしかできない動きや技ができると、周りから注目してもらえる…。ボクは特殊な体で車いすという特殊な道具を使ってダンスをしているから、アイディアひとつで世界中の誰もやったことのない技がポン!とできたりする。それがひとつあるだけで、世界のステージに呼んでもらえたりするわけです。
だから、大勢の人が頑張っている分野ですごく高いレベルを目指すのは、もちろん素晴らしいことですが、誰もやっていないものにチャレンジしてトップを目指すというのも、実は近道かもしれません。もちろん、それにはすごく努力が必要で、ボクも今、技で注目してもらっていますが、実力のあるダンサーさんとコラボした時など、スキルの足りなさを痛感したりします。」

みんなへのお願い
「みんな、困っていそうな人がいたら、勇気を出して声をかけてみてください。例えば車いすやべビーカーを押している人がエレベーターを探してキョロキョロしていたら、『あっちですよ〜』とか教えてあげましょう。お年寄りの人が大きな荷物を持ってバスに乗ろうとしていたら、手伝ってあげましょう。たぶん、それはすごく勇気のいることだと思うんだけれど、ぜひやってみてください
それと同じ位、ボクがお願いしたいのは、自分が困ったときに『助けて!』と言ってみることです。これもすごく難しいと思うのですが、困った時にお互い助け合う関係が増えれば増えるほど、過ごしやすい社会になると思うので…。」

かんばらさんも、階段しかなくて困った時は、周りの人に「車いすを運ぶの手伝ってもらえませんか」とお願いすることもあるのだそう。
助けてと言って、助けてくれる関係はとても大事だと思います。だからみんなも困った時はお友達に相談すればいいし、家族にも言えないことは、ボクのSNSのアカウントに連絡してくれれば、もちろんウェルカムです。何事も一人で抱え込まないことが大切かなって思います。」

障害は大変か?
次はかんばらさんから、みんなへの質問タイム。
「ボクのこと、障害があって、車いすで大変そうだと思う人〜?」参加者から、いくつも手が上がります。記者自身もやはり手を挙げました。それを見てかんばらさんはにっこり。
「そうです、大変です。階段は上れないし、どうしても行けないところもあります。だけど、これが重要です!」そう言って、映し出されたのは「障害があっても楽しそうと思う?」の文字。会場に「うふふっ」という感じの笑声が広がり、同時にまたたくさん手が挙がりました。

「ありがとうございます!そうなんです、障害があっても楽しく暮らしています家族で仲良く過ごしていますし、妻は周りの方から『ダンナさん、車いすで大変ね〜』と言われるけれど、妻本人はそうでもなくて、普通に楽しく生活しています。自分達が幸せであれば、周りの声はあまり気にならないですね。障害やコンプレックスがあっても楽しい人生が送れるということを、今日はひとつ覚えて帰ってほしいなと思います。

みんな違うのが当たり前
最後は、かんばらさんからのメッセージ。
みんな違うのが当たり前です。小学校の高学年や中学校になると、みんなと同じになりたくて、目立つのが恥ずかしくなったりするんだけれど、違うのが当たり前なんで、それを隠す必要は全然ないんです。ボクも制限があるからこそ、みんなが面白がってくれたり、よりスゴイなあと思ってくれたりする。みんなそれぞれ違うからこそ楽しい、ということを感じてもらえると嬉しいかな〜。」

「今日はありがとうございました」というかんばらさんの挨拶が終わると、大きな拍手が沸き起こりました。
一般的な「ダンサーになるには」という内容とは少し違ったけれど、ダンサーとシステムエンジニアを両立させるスタイルや、イヤだと思っていたことが長所になったお話オリジナリティで勝負するという考え方、助け合いの精神、そして何よりめいいっぱい人生を楽しむポジティブさなど、大切なものをたくさん教えていただくことができました!

質問タイム
小5男子
システムエンジニアのお仕事をしているときに、高い所に手が届かないときはどうするんですか?
かんばらさん
良い質問ですね〜。大きいサーバーの上の方にはめこまなくちゃいけないときは、ボクできないんで、他の人にお願いします。仕事ってチームで動くから、みんなで1つの作業が完成すればいいんです。身体的なことだけじゃなく、知識的なことも得意不得意があるから、それぞれ分担して進めます。

保護者
できないことがある時など、「こんな自分みじめだな」とか、「人にじろじろ見られてイヤだな〜」と感じることもあると思いますが、どうやって気持ちを切り替えたり、乗り越えたりしているんですか?
かんばらさん
できないことは、できないこととして認めます。でも同時に、どうしてもやりたいことは、何としてでもやる努力をします。例えば旅行先で、すごい階段を登らなくちゃいけない時は、妻に車いすを持ってもらって、自分は手で這っていきます。もちろん、妥協してもいいかな、という場面ではあきらめることもありますし、叶えたい気持ちの度合いによりますね。
気持ちの切り替えは…難しいです。小さい頃から、じろじろ見られたりとか、イヤなことがちょこちょこあって。でも代わりに楽しいことや好きなものを大切にすることで、「まあ、いいかなあ」と思えたし、それに助けられてきました。だからみんなにも、好きなものは大事にしてもらいたいと思います。

じもたん記者
かんばらさんのダンスは腕の筋肉を活かしたものですが、ダンサーとして特別な筋トレをされているんですか?
かんばらさん
ボクはダンスを始めた時点で、今と同じ筋肉がありました。なので、特別なトレーニングはしていません。ボクの家は駅から徒歩25分位で、ずっと坂を登った山の中にあったんですが、そこを車いすで行き来したりとか、家の中でも腕を使って生活したりしていたことが、自然と体をつくっていたのかな、と思います。今も、食べ過ぎでも太らないし、体重も15年まったく変わりません。
ダンスが上手かどうかは自分ではわかりませんが、スポーツもずっとしていたし、失敗いっぱい経験してきたので、体の使い方、ボクは「体の理解度」と呼んでいるんですが、それが身についているとは思います。

小2女子
いつ頃から車いすに乗っているんですか?
かんばらさん
5、6歳の頃からかなあ。ベビーカーから車いすに乗り換えた感じです。ベビーカーは自分で操作できないけれど、車いすは自分で移動できるから、初めて乗ったときは自由に動けるのがすごく楽しかったのを覚えています。うちの娘は1歳半位から、車いすに1人で乗って移動できます。家用の車いすに勝手に自分で乗って、ブレーキもパン!と外して、廊下を通ってリビングまで来たりしますね(笑)。だから、乗ろうと思えば2歳位からは乗れるはずだと思います。

中庭でダンスショー開催
質問タイムのあとは、中庭に移ってショータイム。観客が厚いコートやセーターを着込んでいる中、かんばらさんは袖なしTシャツ1枚。音楽に合わせて車いすを巧みに操りながら、世界でひとりだけの技「ろくろ」などを中心に、腕による表現力を最大限活かした、オリジナリティあふれるダンスを見せてくださいました!

 

かんばら けんた/車いすダンサー
1986年兵庫県生まれ(33歳)。二分脊椎症という障害をもって生まれる。コンピュータの専門学校卒業後、東京に引っ越し、日本ヒューレット・パッカードでシステムエンジニアとして働く。2016年から車いすダンサーとして踊り始める。2019年には韓国国際障害者ダンスフェスティバルに出演するなど、国際的に活躍。一児の父。

 

☆☆☆☆☆
「おとなの寺子屋」(terakoya@oyabun.net)